さて、前編に引き続き、那須塩原市を散策します。小太郎ヶ淵から2キロほどのところに「源三窟」という鍾乳洞があります。小学生くらいの時に遠足で行ったような記憶はあるんですが、数十年ぶりに行ってみましょう。駐車場に愛車のカブを停めてみると、早速面白いものを見つけました。

塩原七不思議の一つ、片葉の葦(あし)の伝説

この立て看板には、「塩原七不思議のひとつ」とありますね。昔々、一人の旅の僧がこの場所に庵を建てました。相当なイケメン僧侶なのでしょう。里の娘が僧侶に恋心を抱き、毎夜、葦笛で僧侶にアピールしますが、旅の僧は笛の音に気を紛らわすことはなく仏像を彫り、お経を唱えます。そして娘の思いには気づかず、旅を続けて次の目的地に。失恋した娘はそこには現れなくなりましたが、そこにあった葦はなぜか片側にしか葉を付けなくなりましたとさ。

葦の葉を観てみると本当に片方しか葉がありません。これには驚きました。調べてみると、江戸時代から伝わる「本所七不思議」という怪談の中にも「片葉の葦(あし)」という話があります。こちらは塩原のものよりショッキングな内容となっております。気になる方は調べてみてください。

源有綱の隠れ家「源三窟」

源三窟とは、簡単に言うと、源義経と一緒に戦っていた源有綱が源頼朝に追われて逃げ、身を隠した鍾乳洞なんです。源三窟では、入場料を払うと鎧風のエプロンを着けたおじさんが簡単な説明をしてくれます。

入ってみると、そこにはなぜか一休さんが……。しかも、喋ります。話している内容は、「米の研ぎ汁が原因で追手に見つかっちゃったんだよ。僕なら無洗米を使うけどね」と、源三窟ネタとでも言いましょうか……。先に進みましょう。

洞窟内はとても狭いので頭上に気をつけて進みます。要所要所に人形と音声で説明があります。洞窟を抜けるとそこには展示物が見られます。内容は鎧や日本刀、火縄銃などの武器、化石なんかも置いてありますが、中にはまったく関係なさそうな物も置いてあります。

トテ馬車をモチーフにした「とて焼き」

普段だと源三窟から「トテ馬車」という塩原温泉郷をめぐる馬車があるようですが、私が行った時は運行している様子はありませんでした。遅い夏休みだったのかもしれません。この塩原名物の「トテ馬車」に付いているクラクション代わりのラッパを模した新名物が「とて焼き」です。見た目はクレープのようですが、那須塩原市で採れた牛乳と卵を使ったカステラに近い生地をラッパ状に巻いたもので、現在は塩原の12店舗で創意工夫を凝らした「とて焼き」が食べられます。今回、お邪魔したのは鈴木屋SUZUの森cafeさんです。

オーダーしたのはレモンのたっぷり入ったとて焼き。テラス席でいただきます。食べてみると生地はクレープよりも厚くパンケーキより薄い感じです。レモンの酸味が暑い中さっぱりします。クリームはヨーグルト風味で爽やかな味です。アイスティーと一緒にいただきました。

塩原の歴史にふれる「塩原もの語り館」

一息ついて温泉街を走ると「塩原もの語り館」という建物が見えてきます。入ってみると塩原の歴史などを紹介する建物でした。入場時に検温と連絡先などを記入します。すると、入場券と一緒に可愛いタオルがもらえました。那須塩原市のゆるキャラ「みるひぃ」ちゃんと、ゆるくないキャラのボス的存在のキティちゃんのコラボタオルです。

塩原を世に広めた塩原三恩人

ここで塩原を世に広めた重要人物3名の話をしましょう。一人はもうお馴染みの三島通庸(みしまみちつね)、塩原の中心を走る400号線をつくったり、別荘を御用邸として献納したりしました。もう一人が奥蘭田(おくらんでん)、幕末から明治にかけての東京実業界の重鎮です。

奥蘭田は明治21年に別荘「静寄軒」を構え、明治23年には「塩渓紀勝(えんけいきしょう)」という塩原を紹介する書物を発売して全国に塩原の温泉、名所を紹介しました。これにより、塩原の美しい風景が全国に知れ渡ることになります。最後に尾崎紅葉(おざきこうよう)。代表作の「金色夜叉(こんじきやしゃ)」は塩原で執筆され、塩原のことも書かれています。恥ずかしながら奥蘭田という人は知りませんでしたし、尾崎紅葉が塩原に関係していたことも知りませんでした。

金色夜叉は読んだことがないので知っていることといえば、貫一とお宮という登場人物、熱海にあるお宮を蹴る貫一の像。ユニコーンの「大迷惑」という曲の歌詞にも「カンイチとオミヤ」は登場します。舞台はあの銅像がある熱海とばかり思っていましたが、塩原も登場していたとは驚きです。

当時、塩原には夏目漱石や谷崎潤一郎、与謝野晶子や野口雨情など文化人が来ていたそうです。たぶん、明治期には最先端の文化人が集まる、かなりイケてる(この言葉自体がイケてないですが)スポットだったのでしょう。

驚いたことに、毎年9月に行われる「塩原温泉まつり」は(今年はコロナウィルスの影響で中止)この塩原三恩人に捧げたものだそうです。

金色夜叉に登場する旅館「清琴楼」と同名!

せっかくなので金色夜叉に関係する旅館に行ってみます。小説に清琴楼(せいきんろう)という旅館が登場しますが、同名の旅館があります。メインの通りから狭い道を入っていくと、なんとも趣のある雰囲気の歴史のある建物が見えます。内部も気になりましたが外観だけでもみる価値があります。

ちなみに、尾崎紅葉は「金色夜叉」を執筆中に胃癌により36年の生涯を終えます。そして金色夜叉は完結せぬまま終わってしまいます。後に、紅葉の弟子の小栗風葉(おぐりふうよう)が、金色夜叉を書き継いだそうです。

国の天然記念物「逆杉」はド迫力

旅館を後にして、塩原八幡神社の敷地内にある天然記念物に指定されている「逆杉」を見に行きます。逆杉は、根元で2株がつながっている県内最大の杉で、樹齢が1500年といわれています。

塩原七不思議とは

この逆杉は、先ほどの「片葉の葦」とともに塩原七不思議の一つに数えられています。2つを知ると、残りの5つが知りたくなりますね。調べてみました。

一夜竹

塩原八幡宮の境内にある竹林ですが、ここは八幡太郎義家がしめ縄を張り、神事を行う際に竹がなく困っていたところ、一夜にして竹林ができたという話。その後も誰も竹の子を見たことがないという不思議な話。「卵見たことないのに、鶏増えている」的な話ですね。

冬の蓼(たで)

「蓼食う虫も好き好き」の蓼ですが、通常は夏から秋に花を咲かせるのに冬に花を咲かせるそうです。ちなみに、「蓼食う虫も好き好き」と言われるくらいなので、まずいものかと思っていましたが、大人になって関西などでは鮎を食べるのには蓼酢という調味料で食べるのがスタンダードなのだということを知りました。食べてみると、さっぱりスッキリの味でけっしてまずくはなかったです。

冬の桃

甘湯沢という場所では冬に桃が取れたそうです。

夫婦烏

新湯という場所では冬になるとつがいの鳥以外の鳥がいなくなってしまうという話。

半分は冬にならないと確認できませんね。逆杉、一夜竹、冬の蓼はこの塩原八幡宮にあるようです。それにしても、「逆杉」は私が今まで見た名木、御神木の中でもベスト3に入る迫力でした。

木の葉化石園で地層を見る

旅の最後に逆杉の近くにある木の葉化石園に行ってみます。こちらも遠足で行ったような記憶が微かにあります。入り口の外には化石が取れる地層が見えます。

建物に入ると木の葉石の名前の通り、いろいろな植物の化石が壁一面に飾ってあります。

奥に入っていくとアンモナイトなどの化石もあってなかなかの見応え。さらに奥に行くと鉱石などの展示もあり、その美しさにテンションMAX! こんなにもいろいろな化石や鉱石が塩原で取れるなんて感動だ! と思っていたのですが、よーく見ると、北海道? アフリカ? モロッコ???

まあ、塩原だけでこんなにいろいろな化石や鉱石が取れるわけがないのは考えてみたらわかりそうなものですね。勝手に一人で盛り上がってしまった自分が少し恥ずかしくなりましたが私的には、たいへん楽しめました。ちなみに、化石が入っているかもしれない石も販売していて、その場で割って確かめている家族連れがいました。興味がある方はトライしてみてはいかがでしょうか?

塩原みやげもレトロ感あふれる??

最後にお土産でも買って帰ろうと思っていたら「塩原みやげ」の看板を見つけたのですが……。

こ、これは! 1980年代、バブル絶頂期に原宿や京都の嵐山とか各地に存在していたタレントショップの一つ、「梅宮辰夫の辰ちゃん漬」じゃないか! 店内は通常の土産店でしたが、ある意味、こちらも塩原の歴史を語る化石なのかもしれません。


■ 千本 義信

1975年、栃木県大田原市で生まれる。中学生の時に親にカメラを買ってもらい、うまく撮れないことが悔しくて写真を撮り続ける。次第にカメラと写真の魅力に取り憑かれる。高校生になって憧れの写真部に入る。大会などにも参加して部長の地位を獲得。この頃には運動も勉強もできない私が進む道はカメラマンしかないと思い込む。高校を卒業し上京、東京ビジュアルアーツ写真学科へ。2年後、ギリギリの成績で卒業。その後、栃木県に帰り、印刷会社や写真スタジオのカメラマンを経て、2012年にフリーランスに。雑誌、企業広告、建築物、料理、商品撮影など、たくさんの人に支えていただき、今日もどこかで撮影中。