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文化と歴史

小麦饅頭を供えてお盆の準備を

掲載日: 文化と歴史
小麦饅頭を供えてお盆の準備を

カマップタ饅頭

数年ほど前になるだろうか、某テレビ局から「8月1日に食べる小麦饅頭」について質問を受けたことがある。「カマップタ饅頭」のことか、と思い答えていたところ、最後に「それは珍しい風習なのか」と尋ねられた。宇都宮に生まれ育った私としては、世代による違いはあるものの、それは当たり前の風習であるととらえていた。しかし、その場は少し調べてから回答することを約束し、受話器を置いた。

7月1日(現在は月遅れの8月1日)は、地獄の釜の蓋が開く日といわれる。「釜の蓋」や「釜蓋朔日(ついたち)」、あるいは「カマップタツイタチ」などと呼ばれ、ナス畑やイモ畑の地面に耳をつけると、地獄の釜の蓋の開く音が聞こえるという人もいる。1日にあの世を出発したご先祖様は、迎え盆の13日に、それぞれの家や墓に辿り着くとされる。

小麦饅頭。各家庭で作られた小麦饅頭は、おふくろの味であった。重曹入りの少し苦めの炭酸饅頭に、郷愁を覚える人もいるだろう。(芳賀町・平成19年)

8月1日に小麦饅頭を供える

この日、栃木県でも県北から県央にかけての地域では、小麦饅頭や炭酸饅頭を作って仏壇に供え、皆で食べた。小麦饅頭は、小豆餡を小麦粉などで作った生地に包んで蒸したもの、そして、より膨らませるために重曹(炭酸)入りの生地で作ったものが炭酸饅頭である。

小山市など県南では、小麦粉と小豆餡でゆで饅頭を作って供えた。他に小麦粉で焼き餅やうどんを作る地域もある。これらの供え物は、特別なものとされ、日光市や鹿沼市などでは小麦饅頭を作らないと地獄の蓋が開かない、那須塩原市などではご先祖様が無事に帰って来られないといわれた。

小麦饅頭を仏壇に供える(芳賀町・平成19年)

提灯や灯籠はご先祖様が家に帰る目印に

盆が近くなると、戸口に盆の提灯や灯籠を掲げる家も見られる。栃木県東部の芳賀郡や那須郡などの初盆(新盆)の家では、7月1日にタカンドウロウ(高灯籠)を作って、庭先に高く掲げた。これらは、ご先祖様が家に帰るための目印とされ、戸口に高く掲げて、夜になると明かりを灯した。

初盆の家では、ご先祖様が帰る目印として8月1日もしくは7日に、3年間ほどタカンドウロウ(高灯籠)を立てた。タカンドウロウから漏れる光は、この地域の夏の風物詩であった。(大田原市・平成22年)

小麦饅頭を供えるのは栃木県ならでは

冒頭の「小麦饅頭」に話を戻そう。日本各地の風習を調べたところ、「釜の蓋」の伝承はあちらこちらで見られたが、この日に小麦饅頭を作って仏壇に供える事例は他に見いだすことはできなかった。小麦の生産が盛んな栃木県ならでは供物といえよう。また、高灯籠を掲げる習俗は全国でも珍しく、古き良き日本の姿を今に伝えるものである。これら、提灯を門口に掲げることで、簡略化した地域が多いためである。いずれも後世に残したい地域の文化といえる。

7月1日は、盆の行事が始まる日とされ、7日には墓を掃除して、水を浴びることで身を清めた。これをネムトナガシという。そして、ご先祖様に供える盆花を準備し、盆棚を作って、13日の迎え盆、さらには15日の盆に備えた。このように、時間をかけてご先祖様を迎える意識を高めていく様子は、正月行事とよく似ている。

オガラ(麻の皮をはいだあとに残る芯の部分)の先を灯してご先祖様を墓地に迎えに行く。(鹿沼市・令和元年
各家でいろいろな形の盆棚が作られている。これは正月の歳神棚に対応するものである。(宇都宮市・平成23年)

篠﨑茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。

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