人類は病と闘ってきた

新型コロナウィルス感染症が猛威を振るっている。外出もままならず、家の中で陰鬱な日々を過ごしている方も多いことだろう。これまで、人類は数々の病と闘ってきた。SARSにエイズ、古くはスペイン風邪、天然痘、ペスト、コレラ、梅毒など枚挙にいとまがない。医療技術が進歩した今日でさえも、これらの病は厄介な存在といえるが、それ以前の人々はいかにして病と対峙したのだろう。

宇都宮の黄鮒(きぶな)とは

このところ人気急上昇のアイテムに黄鮒(きぶな)がある。宇都宮の郷土玩具で、宇都宮駅や栃木県立博物館など、市内の物産店で購入することができる。あざやかな赤、黄、緑で施された胴体は人目に付き、つぶらな瞳はなんとも愛らしい。そもそもは張り子だが、ストラップや土鈴、菓子などに象られ、また宮染の手拭いや野州てんまり、果てはバスの車体にデザインされるなど、宇都宮のイメージアップに一役買っている。

張り子の黄鮒は、宇都宮市の郷土玩具として親しまれている。

黄鮒の言い伝え

この黄鮒には、次のような話が伝わっている。昔、宇都宮に天然痘が流行し、多くの人が病に苦しんだ。信心深い村人が、病が治るように神様に祈ったところ、黄色の鮒を食べさせるとよいとのお告げがあった。そこで、田川に出かけると、果たして黄色の鮒を釣り上げることができた。これを病人に食べさせたところ、たちどころに病が治り、食べた人は病気に罹らなかったという。それ以降、無病息災を願って、張り子や木片で作った黄色の鮒を軒下や神棚に飾るようになった。

黄鮒製作の様子(2008年・宇都宮市)。現在は、「ふくべ洞」の小川昌信氏が黄鮒の製作を継承している。木型に厚手の紙を貼って形を作ってから、全体を胡粉で白く塗り、乾いたら色を付ける。

無病息災の縁起物

黄鮒は、宇都宮の南新町(現在の新町の辺り)の農家が副業として作っていたが、その技術は、浅川仁太郎氏とその次男の俊夫氏に伝わり、さらに大通りに店を構える「ふくべ洞」の小川昌信氏の手に受け継がれた。

人々は、正月の初詣や1月11日の宇都宮の初市で買い求め、神棚などに飾ったものを、宇都宮二荒山神社の冬渡祭のなかで達磨などの縁起物と一緒に燃やした。

黄鮒販売の様子(2014年・宇都宮市)。黄鮒は、1月11日の宇都宮の上河原の初市などで販売される。

祭りの多くは疫病退散の願いから

他にも、疫病から身を守るために、5月5日に菖蒲や蓬を家の軒下に吊るしたり、サイコロや大きな草鞋を集落の境に立てたりする地域がある。そして、烏山の山あげ祭や宇都宮の天王祭など夏祭りの多くは、疫病退散の願いが込められている。

烏山の山あげ祭り(2016年・那須烏山市)。永禄3(1560)年に烏山城主の那須資胤(すけたね)が悪疫退散を祈願して行なったのが起源とされる。国の重要無形民俗文化財。平成28(2016)年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。

いつの時代でも病は恐ろしい。地域に伝わる信仰は、現代の社会から見ると要をなさないものかも知れない。しかし、一縷(いちる)の望みを神仏や先人の知恵に求め、団結してそれらに立ち向かう姿は、注目に値する。

村境につけられた大草鞋(2009年・日光市)。集落に大きな草鞋(わらじ)を履く人がいることを示すことで、悪疫の侵入を防いだ。

篠﨑茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。