History of Tochigi 2

教科書には載っていない下野国の歴史を一緒に辿ってみましょう!

宇都宮の由来『恐るべし法力の威力』

地名にはそれぞれ由来がありますね。
普段の生活のなかでは、あまり気にならないものですが、土地を探すときには、その地名から土地のもともとの状況に見当をつけることも多いと思います。
例えば「川」とか「池」とか水関連の地名は、地耐が弱い可能性があるので注意したほうが良いとか…。

栃木県の県庁所在地『宇都宮』は、中世に権威を振るった『宇都宮氏』が由来であることは広く知られていますね。今回は、宇都宮氏の権威により栃木県がどんな様子だったのか、一緒にたどってみましょう!

宇都宮氏の初代『宗円公』が、権力を持ったのは、1056年の「前九年の役」がきっかけでした。源氏方(源頼義)の依頼をうけ、法力(宗円公はお坊さんでしたので)により源氏方を勝利に導いたことが認められ、宇都宮大明神(二荒山神社)の神領の支配をまかされ広い領地を手にいれたことがはじまりです。
頼義さんから依頼を受けてから、なんと6年もの間、宗円さんは祈祷を続けました。その場所は、現在の「さくら市勝山」です。
小高い丘の上で雨風に打たれながら6年もの歳月を祈り続け、それにより頼義さんに大勝利をもたらした場所。

勝山には目に見えないパワーがあふれているかもしれません。宗円さんパワーにあやかりたい方は、勝山に住むのも良いかもしれませんよ。(何しろ、目に見えぬパワーなので、どんなあやかり方かは分かりませんが、気は心です!)
とにかく、この大勝利の恩賞の証として「宇都宮市」の存在があるわけです。

境内

宗円さんは現在の宇都宮市中心部に本営を構え、神社の最高責任者である「社務職」と付属寺院の責任者「検校」を兼業して、周囲に権勢をほこりました。(企業ならCEOですね。権力一極集中、どちらかというと欧米式…。)
中心部は当時沼地や湿地が多く、「池辺郷」と呼ばれていました。それが「池上町」として地名の一部として残っています。ここを拠点として、宗円さんは周囲の有力者たちと宇都宮家との婚姻をすすめ(いわゆる政略結婚ですね。)一滴の血も流さずに那須・足利・笠間までの領地を手にいれたのです。 かなりやり手のCEOです!

その後、宗円さんは晩年隠居生活を送った『多気山寺宝院』に勝山に祭られていた守護神の不動明王を勝山から移すことを遺言として残しこの世を去ります。これが現在『多気不動尊』となったわけです。

宇都宮氏の本丸、二荒山神社は、現在の場所だけでなく、現在地から馬場通り交番付近までが神域とされる壮大さで、たいそうな賑わいを見せていたようです。
中世の宇都宮市は京都や奈良のような壮大な神社仏閣が立ち並ぶ、宗教都市の趣だったのですね。京都のように今もその趣を残しておければ、観光都市として餃子とカクテル以外でも、もっとたくさんの人に来ていただけたかも知れませんね。