猿田彦を先頭に宇都宮二荒山神社に還御する。

長い行列、神輿の巡業の様子が名物の神事

オタリヤは、1月15日と12月15日の年に2回行われる宇都宮二荒山神社の神事である。このうち1月は「春渡祭」、12月は「冬渡祭」と書き、どちらもオタリヤと呼ぶ。宇都宮を代表する祭りの一つで、一年の始まり(春渡祭)と終わり(冬渡祭)を告げるものとして知られている。

春渡祭、冬渡祭ともに行事の内容はほぼ同じで、神輿(みこし)の渡御(とぎょ)が中心となる。一説によると宇都宮二荒山神社の御祭神を下之宮(しものみや)がある荒尾崎から、現在の臼が峰に遷座したことが起源と言われ、弘化4年(1847)の「日光山大明神祭礼絵巻」には、宮島町の大提灯を先頭に猿田彦、御鉾、神馬、田楽舞、楽人、神楽巫、神楽人、社家人の行列に続いて、神輿が巡行している場面が描かれている。

日光山大明神祭礼絵巻(部分)。宇都宮の祭礼を描いた絵巻(個人蔵)。(※クリックで拡大します)

神輿が町中を巡業する神聖な一日

さらにその後方には日野町、池上町、鉄砲町など氏子町の名前が書かれた提灯(ちょうちん)が林立し、大勢の鉢巻きに褌(ふんどし)一丁の人々が見える。裸参りも行われていたようだ。絵巻には300を下らない人が描かれ、規模の大きな渡御であったことがわかる。

当時、神輿は夜の10時頃に裏門から出御し、御旅所(おたびしょ)で神事を行ってから市中を巡り、深夜の12時頃に表参道の階段を上って還御(かんぎょ)した。神社下では露天商や見世物小屋が店を構え、宇都宮近郷はもちろん、遠くは茨城や福島からも人々が集まり、神輿の還りを見守った。また、この日は風呂をたててはいけない、針仕事をしてはいけないなどの禁忌もあり、神聖な日とされた。

下之宮に安置された神輿。下之宮が再建された後は、御旅所ではなく、下之宮を通るルートにあらためられた。

中世を感じさせる優雅な芸能も見もの

今日、神輿は夕方の5時半頃に出御する。表参道の階段を下って下之宮に向かい、そこで神事を行ってから市中を巡る。往事の賑わいを見ることはできないが、太鼓の音が響くなか、天狗面を付けた猿田彦を先頭に神職や氏子に担がれた神輿が大通りを練り歩く様子は荘厳である。

下之宮では、神事に合わせて田楽舞が奉納される。田楽舞は五穀豊穣を祈念する舞で、平安時代から続く貴重な芸能である。宇都宮二荒山神社の御神領であった堀米地区の6軒の農家が舞を継承し、その大役を担ってきた。草履にたっつけ袴、頭に赤い布を垂らした丸笠を被った舞人が、ゆったりとした笛やササラの調べにあわせて踊る姿は優雅であり、中世の息吹を感じさせる。

市内を巡行する神輿。
五穀豊穣を祈念する田楽舞。

無病息災を祈ってお焚きあげを

オタリヤはお焚きあげの日としても知られている。神社に参拝に来た人々は、春渡祭は正月の注連(しめ)飾り、冬渡祭には古くなったお札や縁起物などを持ち寄り、無病息災の願いを込めて火中に入れた。このお焚きあげの火にあたると風邪をひかないという。

お焚きあげの様子。

篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。