生大根を持って跳んだり跳ねたりする強力(ごうりき)。太郎坊、次郎坊の前に高く盛られた飯が見える(平成16年撮影)

栃木県内各地に伝わるユニークな行事

高盛飯(たかもりめし)を食べることを強いる強飯式(ごうはんしき)は、栃木県のなかで最もユニークな行事の一つであろう。なかでも4月2日に日光山輪王寺で行われる強飯式はよく知られている。山伏(やまぶし)が3升入りの椀を持って「食え」と責め立てるもので、参加すれば「七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)」(仏教用語で七つの難が直ちに滅び、七つの福がもたらされる)し、運が開けるという。

県内を注意深く観察すると、こうした行事は輪王寺だけではなく、日光市、宇都宮市、鹿沼市などの祭り当番の引き継ぎ式や庚申講(こうしんこう)のなかで広く行われていた。その多くは、昭和40年代までには姿を消したが、現在も続いている鹿沼市上粕尾の発光路や日光市七里の生岡神社の強飯式は、貴重な文化財となっている。

輪王寺の強飯式。高盛飯を食べることを強いることから「日光責め」の異名を持つ(写真は栃木県立博物館提供)
発光路の強力。1月3日に妙見神社の当渡し式(当番の引き継ぎ式)の後に開催される。国指定重要無形民俗文化財(平成19年撮影)。

市指定無形民俗文化財の奇祭「生岡神社の強飯式」

今回は、このうち、毎年11月25日に神事の一つとして開催されている生岡神社の強飯式を紹介する。この神社は「大日様(だいにちさま)」の名で親しまれ、伝承によれば、弘法大師が大日如来を祀って開基(かいき)したのが始まりとされる。その後、神仏分離によって生岡神社となり、日光三社権現(にっこうさんしょごんげん)の三神を祭神とするようになった。

生岡神社(平成16年撮影)。

「子供強飯式」は子どもの演技が名物!

主役となる山伏と強力(ごうりき)は、地域に住む子どもが務める。そのため、この地で開催される強飯式は「子供強飯式」とも呼ばれている。はじめに、ほら貝の合図で登場した山伏が「こりゃ、御新役、当山の作法七十五杯つかつかおっとりあげてのめそう。ただし、料理が望みか、強力をもって責む。やい強力、料理をもてぇ」と口上を述べ、太郎坊、次郎坊と呼ばれる強飯頂戴人の前に歩み寄る。すると「うけたもう」という声があって、山伏に代わり、歌舞伎役者さながらの派手な化粧で隈(くま)取りし、紅と黒を基本とした特徴ある衣装をまとった強力が登場する。

そして「こりゃ、中宮祠の木辛皮、寂光の青山椒、お花畑の唐辛子、生岡神社の生大根、諸所の名産よせての御馳走、一杯二杯にあらず、七十五杯つかつかおっとりあげてのめそう」と口上を述べるや、山盛りにした飯を強飯頂戴人に強いる。そして、両手持った生大根を床に打ち付けたり、飛び上がったりして強飯頂戴人を威圧し、帰り際には「一粒も残しちゃならん」と、強飯頂戴人を睨み付ける。

こうした子どもたちによる口上やしぐさ、強飯頂戴人とのやりとりは、厳粛のうちにも可笑しさがあり、見る人を引きつける。

口上の述べる山伏。強飯頂戴人である太郎坊、次郎坊も頭にメカイを載せるなど特徴あるいでたちである(平成16年撮影)。

収穫への感謝と五穀豊穣の祈り

口上や作法からも明らかなように、「生岡神社の子供強飯式」は、日光修験の流れを汲むとされる輪王寺の強飯式の影響を受けたものであろう。それは、時を定めてやってくる神仏をたくさんのご馳走でもてなして、同じものを食べることで収穫が無事にすんだことへの感謝とこれからの五穀豊穣を願い、さらには地域社会の一体感を高める意味があったのだろう。

威圧する強力(平成16年撮影)。

篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。