綾竹を持って踊る 30年ほど前までは若衆が踊っていた。

念仏踊りを奉納する「塙の天祭」

那須烏山市三箇(なすからすやましさんが)の塙にある松原寺(しょうげんじ)では、毎年8月最後の日曜日に天祭(てんさい)を行う。伝承によれば、今から300年ほど前に、高野山で修行を修めた鳥海上人(ちょうかいしょうにん)が故郷である出羽に帰る途中にこの地で病に倒れ、松原寺を開山した。ちょうどその頃、当地は凶作で疲弊していたが、鳥海上人は旅の途中で聞き覚えた歌や踊りを教え、人々の心を癒やそうとした。それが塙の天祭の始まりとされている。

天災から身を守る祭り

天祭は太陽や月など天の神仏に風雨順調や五穀豊穣を祈念する行事で、天念仏、天道念仏ともいわれる。栃木県は、栃窪の天念仏(鹿沼市)や田野辺の天祭(市貝町)など数多くの天祭が分布する地域として知られており、地域によって多彩な行事が見られる。

塙の天祭は、風祭りの一種で、もとは二百十日(立春から数えて210日目の9月1日ごろ)を中心として三日三晩にかけて行われていたが、その後9月1日に近い土曜日と日曜日の2日間の実施となり、さらに平成の終わりに現在の形となった。二百十日の前後は、台風の襲来など風水害に見舞われやすい時期とされ、塙の天祭にはそうした災害から身を守るという願いが込められている。

神仏を勧請するおごそかな行事

行事は天小屋の組み立てから始まる。天小屋は彫刻を施した2階建ての小屋で、行事の中心となる施設である。2階には日天や月天などを祀る祭壇を設けて、神主、僧侶、行人のそれぞれが神仏を勧請(かんじょう)する。このうち行人は出羽三山に奥参りした者がなる。頭に宝冠(ほうかん)、白の行衣いでたちで、寺の前を流れる小川で水行し、心身の穢(けが)れを祓ってから祭壇でサンゲ祈祷呪文を唱える。

行人は、行事の期間中、松原寺本堂の行人座敷で神主とともに忌み籠りし、1日に3度水行をする。
塙の天祭は天小屋の組み立てからはじまる。松原寺本堂脇に組み立てる。当日、2階では行人が「帰命頂礼懺悔懺悔 六根清浄」などサンゲ祈祷呪文を唱える。

祭りのクライマックスは「天祭踊り」

神事が終わると、1階では千度掛けが始まる。梵天(ぼんてん)を肩に担いだ千度人が「千度もうす 万度もうす」と唱えながら天小屋の周囲を右回りに廻り、行人の祈願が成就するのを手助けする。また、天小屋の前に設けられた舞台の上では、地域の小学3年生から中学3年生までの子どもたちが天祭踊りを行う。これには綾竹を持って踊る「繰出し」や「つき綾」、扇を持って踊る「扇踊り」などがある。そして、神主、僧侶、行人によるドウツキでもって行事は終了となる。

千度掛けの様子。千度人は他の村から婿入りした者がなる習わしである。
扇子を持って踊る。

無形民俗文化財に選択された貴重な祭り

塙の天祭は、神主と僧侶がともに神仏を勧請することに特徴がある。これは、神仏習合の姿を現在に伝える習俗であり、昭和57(1982年)年に国から「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択された。また、地域の子どもたちに伝承されている天祭踊りは、中世を起源とする念仏踊りを彷彿とさせるものであり貴重である。さらに出羽三山(でわさんざん)信仰が見られる点も興味深い。

塙においても、人口減少や少子高齢化の波が押し寄せており、後継者不足に悩んでいる。そうしたなか、工夫を凝らし、先人から伝えられてきた伝統を守り続けている人々にエールを送りたい。

ドウツキの様子。行事の締めの儀式で、青龍権現祠の前で行う。

※写真はすべて平成12(2000)年に撮影
※2021年は中止となりました


篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。