夏の定番「日光和楽踊り」

夏休み終盤のイベントの一つに盆踊りがある。8月下旬ともなると、寺の境内や学校の校庭、広場の中央に櫓(やぐら)が組まれ、紅白の花、幕、提灯(ちょうちん)などが華やかに飾り付けられる。

盆踊りは、集落や学区などを単位として全国各地で開催されるが、規模が大きなものになると近郷近在から大勢の人が集まって来る。曲目は、宇都宮近辺であれば「日光和楽踊り」が定番であろう。櫓の上では、囃子連(はやしれん)による笛や太鼓、鉦(かね)の音が人々を誘い、その下では浴衣姿の踊り手が手踊りや笠踊りに酔いしれる。

宇都宮の工場の敷地内で行われた盆踊り(昭和50年ごろ)。8月下旬になると県内各地でこのような風景が見られた。 撮影:後藤文彦氏

行幸啓をきっかけに生まれた民謡

「日光和楽」は、大正2年(1913)9月に大正天皇と貞明皇后が日光電気精銅所(現在の古河電工日光事業所)に行幸啓(ぎょうこうけい)されたことをきっかけにして生まれた民謡である。その夜、従業員一同で開いた祝宴の席で、誰かが即興で唄った節に合わせて、何人かが唄い踊ったことが「日光和楽踊り」の始まりとされる。精銅所では、行幸啓の栄誉を後世に伝えるために、そして従業員と地域住民の慰労を兼ねて毎年これを開催し、栃木県を代表する盆踊りとなった。

日光和楽踊り(平成12年)。「ハーア アーエ 丹勢山から精銅所を見れば 銅積む電車が出入りする」。丹勢山、精銅所、銅など日光の自然や足尾銅山の隆盛などが歌詞に盛り込まれている。元唄は、大田原市親園で唄われていた盆踊り唄といわれる。当初は9月に行われたが、大正11年(1922)からは8月6,7日に実施されるようになった。

盆に先祖を歓待し、鎮送する民俗芸能

そもそも盆踊りとは、盆の前後に先祖を歓待し、鎮送するために行う民俗芸能である。平安時代に空也上人によって始められた念仏踊りに盆行事が結びついたものといわれ、秋田県の西馬音内(にしもない)の盆踊りでは亡者を意味する覆面をつけた踊り手が登場する。

また長野県の新野(にいの)では村境まで踊り歩くことで祖霊をあの世へと送り出した。こうした姿が盆踊りの原点といえるが、大正時代になるとご当地ソングの先がけともいえる盆踊り唄が作られ、リズミカルな手振り、足取りからなる盆踊りが開催されるなど、娯楽の面が強調されるようになった。先に紹介した日光和楽もその一つであり、足利市など両毛地区でおなじみの八木節も大正時代に広まった盆踊り唄である。

その後、東京音頭、ズンドコ節に見られる歌謡曲やドラえもん音頭、ポケモン音頭に代表されるアニメーションとタイアップした唄が作られるようになると、盆踊りは都市部に暮らす若い世代にとっても身近なものになった。今や阿波踊り(徳島県)、エイサー(沖縄県)、郡上踊り(岐阜県)など全国から人が集まる盆踊りも珍しくない。

八木節(平成14年に栃木県立博物館で開催された郷土芸能フェスタより)。足利市堀込に生まれた堀込源太(本名・渡辺源太郎)が作った民謡。大正3年(1914)にコロムビアレコードより販売されると、全国に知られるようになる。八木とは足利の八木宿。越後や木崎宿(群馬県)の盆踊り唄の影響を受けたものとされる。

盆踊りは市民の心のよりどころ

県内では、延生地蔵尊の縁日(芳賀町)や高田の盆踊り(真岡市)が大勢の人が集まる盆踊りとして知られていた。また、日光の盆踊りは現在も市民の心のよりどころとなっている。地元に戻って、気心の知れた仲間と踊る盆踊りも悪くはない。唄い踊ることで、過ぎゆく夏に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

延生地蔵尊の盆踊り(昭和50年ごろ)。芳賀町下延生の城興寺は、安産子育てに霊験があるとされ、「延生の地蔵尊」と呼ばれている。大縁日の前日となる8月23日の夜は「延生の宵待ち」と呼ばれ、盆踊り大会が行われる。近隣各地から多くの人が集まり、高田の盆踊り(真岡市)、秩父の夜祭りとともに「関東の三大夜祭り」の一つに数えられた。23日の盆踊りは時期的には遅く「延生の盆踊りで踊りおさめ」といわれた。 写真提供:栃木県立博物館

篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。